翻訳単価安すぎ問題の独特な原因
「翻訳単価安すぎ」「翻訳は割に合わない」との声はよく聞く。
以下は自分の頭の中から引っ張り出して書いているだけなので注意。
翻訳単価についての問題は、「人材を安く買い叩く」「技術を評価しない」「スペシャリストを評価しない」風潮全般の1つだと私は考えている(日本が他国と比べ本当にそうなのかは知らない)。
しかし、翻訳にはそれをエスカレートさせるもう1つの要因がある。
それは、翻訳者は「空気」に徹さなければならないことである。
翻訳がなされたと読者に感じさせない訳文が良い訳文。また、当然訳文には翻訳者自身の私見を反映させてはならない。
そもそも文章を理解しようと読んでいる時点で翻訳者自身の解釈は入るじゃないかというツッコミは入るが、そこは考えないとする。
だから、翻訳の練習というのも空気に徹する練習。クライアントの目に見えないようにする練習なのである。
そうしているうちに、クライアントにとって翻訳者は本当に存在ごと空気になってしまう。
空気に払う金なんてあるはずがない。空気とは、地球に生きている限りあって当然のものだ。
それでは、誤訳にならない程度に悪訳をして存在感を醸し出せば良いのではないか?とツッコミが入る。
しかし翻訳への評価は専ら減点法。社会人は減点法の世界みたいな言説をよく聞く気もするが、翻訳は特にそう。
読みにくい訳出をした時点で、減点をされて終わりである。
改善への想定される過程はというと、「透明になる技術」が評価されるようになることだろう。
しかし、どうやって?
論を最初に戻す。「人材を安く買い叩く」全般の解決は、消費者側が今の便利な生活を捨てる覚悟があるのか?という話になる。
「技術/スペシャリストが評価されるようになる」も上と関連するところはあるが、まだこちらの方が早い気もする。
というわけで、翻訳単価の根本的改善は、技術やスペシャリストを評価しない風潮全体の改善を待たなければならない。
……と、1年目で半人前の翻訳者は考える。
私は意識改革をあまり信じていないので、翻訳料に関する啓蒙活動はやりたい人に任せる。