無色的紅色

中文系だった。中国語関係。

文学部中国語(中文)専攻の環境

とある文学部中文の話をする。

どこの大学かは別の記事を読んで頂ければ分かってしまう。いわゆるFランではない。

 

もしも〇〇語を勉強したいという理由で〇〇語専攻に入りたい人がいたら、このような事情があるというのは理解しておいたほうが良い。

 

授業の概観

大学は中国語教室ではないので、意外と中国語の授業が少ない。

必修中国語の授業は中文和訳がものすごく多い。スピーキング専用の教科書を使いながら和訳し続けることもある。

文法の掌握を目指すなら、安易に先に進まない方が良い。そうするくらいなら、2年で1年の教科書を使って文法を正確に使えるようにする練習をすべきではないか?

基礎の基礎の暗唱でもした方が良いのではないかと思うが、確認も取らずに先に進む。

 

学部3年生で中国語の論文を読めるようになる人は、既習者でない限り皆無に等しい。

それどころか、中検2級に受かる人も稀。4年間で中検3級+HSK4級がボリュームゾーン

 

専攻語が読めないことで、3年生以降の演習や卒論にも皺寄せが来る。

研究能力の訓練をあまりされた覚えがない。検索技術などの訓練は2年に週1回ある授業で終わり。

そのぶん何をしていたかというと、先生方が関心を寄せている文献の和訳。他人の中国語発音と和訳を聞いているだけで90分が終了するのも珍しくはない。

 

スピーキングの授業で何か身につくことを期待してはいけない。自分で訓練しよう。

 

1クラスあたりの人が多すぎて全然差されず、ろくに発言せずに終わることがある。1回も発言せずに授業終わるのはザラだった。

1限には4-5人しか取ってない授業があるが、スピーキングの授業なのに教科書の和訳をしていたりする。勿体無い。

 

スピーキングの授業では自分の頭で考えたことを外国語に起こす作業がしたいのであって、正確な読解をする訓練は別の授業の領分だ。

スピーキング重視と聞いて取った授業があんまりスピーキングしないケースが多かった。うーん。

 

 

 

母語である日本語が下手な人が多かった。私も人のこと言えないが。

 

初めてオールチャイニーズの授業を受けた。この時点ではあんまり理解できず第一印象怖かったし、前期しばらくはこの授業は嫌いだった。でもだんだん楽しくなって最終的に語学の中では一番好きな授業になった。

小学校まで中国にいた日中ハーフの人が通訳係を頼まれていた。

発音のせいで、2回目で既習者なのがバレた。你学过汉语吗?(中国語を勉強したことがあるか)と聞かれたら、学过(やったことある)と答えるしかない。他の人より難し目の問題を当てられるようになった。

 

毎週の暗誦はキツかった。なんのヒントもなしのガチ暗誦。未修者にとっての最大のハードルだと思う。しかし暗誦は必要で、これは非常に有益だったと思う。

隣の人と問題を出し合った。

 

後期になってから先生がめちゃくちゃ日本語を使うようになった。毎年そうらしい。

第一印象を中国語しか通じない人にすることが目的だったのか?

 

 

ボヤっと考察――カリキュラムに無理がある

以上の様子は、近現代中国に強みを持つ中文であり、古典はあまり盛んでない専攻のもの。

思うに、外国語系専攻がカリキュラム上抱える困難があるのではないか?

 

まず、外国語系専攻でない文学部ならば、

 

1~2年で専攻の基礎知識と分野特有の調査技術を学ぶ

3年以降は文献を輪読して硬派な論文を読む力をつける

4年でその時点の問題意識を明らかにし、卒研・卒論。

 

以上は全て日本語で、4年間かけてようやくこなせること。

これを外国語系専攻でまともに行うのならば、専攻語の習得が必要であるから、単純にそのぶん授業数が多くならなければならないだろう。

しかし、単位数は恐らく学部毎の縛りが大きく、それはできない。したがって、他専攻が行っている研究技術の教授を大幅に削る羽目になる。

どうなるか?

 

地域研究には少なくとも専攻語の語学力が必要

2年間で学習歴0から専攻語を苦労なく読めるようにするのは現実的に無理

研究技術の教授が疎かになる。3年以降、日本語力も専攻語力も論文を読むに足らない学生がボリュームゾーンとなる

専攻語力も、専攻地域の基礎知識も、調査能力も、資料をまとめて発表する能力も培われなかった4年生が大量発生する

 

このような状況を見てからは、

  • 私は中国語初級を既習の状態で中文専攻に入学して本当に良かった
  • 外国語系専攻は専攻語の既習者が入るべき所なのではないか?
  • 同専攻は外部からの印象よりはるかに専攻語ができないのではないか?
  • 同専攻で研究技術を身に着けたいなら院進するしかない

――と考えている。